子供たちへ「学校は命をかけてまで来るところではない」

子供達へ「学校は命をかけてまで来るところではありません」

 

時代が変わってるんだな〜

と思ったので、ひとり言です。

先日、岐阜市の教育長が発言した言葉、

「学校は命をかけてまで来るところではありません」

中略

「今あなたが悩んでいる班とか学級とか部活は、狭い世界です」

「苦しいのに我慢して学校へ行くことはありません」

 

この言葉に助けられる子供や若い人たちはどれだけいるだろうか?

これからも万人を救うであろうこの教育長の勇気ある行動を賞賛したい

 

わたしもよく規格の整ってない子の相談を受けます。

この規格って、スペックのことではありません。平均的な大人が都合よく子供に押し付ける規格です。

よくいう「普通」です

 

相談を受けている時、わたしもよく言います。

「あなたが今見えている世界はとても狭く、でもあなたが生きているこの世界はとても広いです」

常識とか普通とか、それは小さなコミュニティの中の話であって、

基準を変える、身の置く場所を変えると、鼻くそのようなことに見えます。

 

もしその子にちゃんと生きていくための教養が身についているのであれば、

「自分が楽しいことを選択すればいいじゃん」

「嫌なことでやらなきゃいけないことは、無心で黙々とやればいいんじゃね」

自分のやりたいことの先にしか興味ないでしょ。

失敗したり、人に迷惑をかけてしまったら、謝ればいい。

潔く自分の過ちを認めればいい。

大体のことは謝ってすむことが多い。

全てではないけど、悪いことをしようと思わず、起こした誤ちは私の経験上90%はそれで済んできた。

90%の失敗は謝れば済むのなら、自分の楽しいことやりたいことを選択したほうがお得ではないか。

 

世界は広い。

大人になると気づきます。

その広さにビビる人もいるけど、とにかく広い。

 

もしあなたが、はなくそのようなことで悩んでいるなら、世界には全く同じはなくそ友達がいっぱいいるよ。

またそのはなくそを、なんでそんなことにこだわってるの?って真剣な顔で聞かれることもあるよ。

その瞬間、

どうでもよくありませんか?

 

話は戻るが、この教育長の言葉。

私は子供だけに向けられたものではないと思う。

はなくそな小さな世界から引っ張り出せるのは大人しかいないから。

はなくそな世界が常識だとか普通だとか、完成された目標とする世界だと大人が思わないように。

大人に多様性、多くの選択肢があることを知ってもらいたいのではないか。

 

わたしもこの一年、多くのやりたいことをやってきた人たちと接してきた。

「うらやましいよ」

自分の意思を通し、自分で選択し、やりたいことの先に人生を築いてきた。

微塵の後悔もないあの顔は自信に溢れてるよね。

 

はなくそばかり言ってすみません。

どうかこのBLOGを読んでいる時が、食事中でないように。

また電車に乗って隣の人にチラ見されてませんように。

では。

 

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